皆様、本日より仕事はじめという企業様も
多いのではないでしょうか?
弊社も、本日が2014年の仕事始めです。
年末年始休暇から一転。
怒涛のように詰まっている(ありがたいことに)
お仕事(ポスティング)を社員総出で開始しました!
新年初日だというのに、
挨拶もできないまま、皆各エリアに散らばって
行きました。
夕方全員が戻ってきたところで、
ようやく新年の挨拶をする
というような慌ただしい仕事始めとなりました。
お取引先様への挨拶も出来ないままで
大変申し訳なく思っている次第です<m(__)m>
さて、話題は変わりますが、
今日1月6日は「色(イロ)の日」
なんだそうですね。
語呂合わせでそうなったんだと思いますが、
色というのは、私達が普段特に意識することなく
目にするものですが、生きていく上において
とても大切な要素?だと、ふと感じているところです。
昨年末に紅白歌合戦が
視聴率40%を超えたようですが、
例えばその紅白歌合戦。
紅組が「女性」
白組が「男性」
となっています。
では何故、紅組が「女性」で白組が「男性」なのか
考えたことがあるでしょうか?
日本にはこの紅(あか)と白(しろ)の組み合わせが
たくさん存在します。
真っ先に思い浮かぶのはなんでしょう?
「日本国旗」
では無いでしょうか?
祝い事などでもらったりするのが
「紅白まんじゅう」
祝いの席ではどんな幕を張りますか?
「紅白幕」
ですよね。
私が聞いた話によると
紅(あか)は「女性の卵子の色」を表し
白(しろ)は「男性の精子の色」を表すのだそうです。
紅と白が交り合うことによって
子供が誕生する=めでたい!
だから祝い事では紅白の幕を張るということみたいです。
日本国旗に至っては
赤い丸(女性)を白(男性)が包み込むという
精神を表しているとも・・。
国旗にそんな考え方があったとは知りませんでした。
色と言えば私は中学生のころ、良くこんなことを思っていました。
僕が見ている「赤い色」は
他の人(Bさん)には「僕が青いと思っている色」に見えているということは
無いのだろうか?・・・
意味解ります?
ポイントは「赤い色」が「青い色」に見えるということではなく
「僕が青いと思っている色」という点。
Bさんは生まれたときから、
「僕が青いと思っている色」を「赤色」として
認識しているから、
結果的には僕にとってもBさんにとっても
「赤色」という認識にはなるので
どーでもいい話なのですが、
ちょっと哲学的な話になりそうなのでこれ以上はやめておきます。
どなたか明快な回答が出来る方
コメント下さい。
そもそも、色というものが存在しなかったとしたら、
どんなにつまらない世の中になってしまうことでしょうね。
色によっていろんな決まりごとが存在し、
世の中が成り立っているわけで・・・。
ところで色が無い状態ってどんな状態?
んー。透明?ということでしょうか?
一瞬モノクロ状態を想像したけど
モノクロ(白黒)も一応色ですから・・・。
よくわからなくなってきましたので
この辺で終わりたいと思います。
ということで
本年もよろしくお願い申し上げます。
コメントをお書きください
tatsuhiro tanoue (金曜日, 10 1月 2014 00:03)
正月はばたばたでゆっくり話もできなかったな。
さて、「僕が見ている赤い色」の疑問は、「科学パズル」 田中実著 光文社にあるよ。
問43 ある男が、精神科の医師を訪れて、こう訴えた。
「私は、どうも、ほかの人と色の見え方が違うような気がしてならないのです。私は生まれたときから、みなさんが、「赤」と呼んでいる色を「緑」に感じ、「緑」と呼んでいる色を「赤」に感じているのではないでしょうか。しかし、私がポストの絵を描くとき、私の目にポストは「緑」に見えていても、いざクレヨンを手に取るとなると、クレヨンの「赤」も「緑」に見えるはずですから、その「緑」に見えるクレヨン、つまり「赤」のクレヨンを取って塗ってしまっているのではないかと思うのです。結局、赤いポストはいつも赤く塗られるものですから、みなさんには、私がまったく正常にしか見えないのです。不安でたまらないので、先生に私が正常か異常か、ぜひ確かめていただきたいのです。」
この男が正常か異常かを確かめるには、どうしたらよいだろうか。
答えはこうです。
この男に赤いカードを見せたとしよう。彼がたとえこのカードの色をどのように感じようとも、彼は赤いと答えるにちがいないのである。なぜなら、彼が赤い色をはじめて覚えたとき、もし一般にいう緑の色を彼が感じていたとしても、周囲はこれを赤いと教え込む。すると彼は、彼の感覚がどうであろうと、なんの反発もなく「赤」と覚えこんでしまうから、以後、赤い色を見れば「赤」と答えるのである。つまり、彼にはどのように見えようと、違う色が違う色として認識できるかぎり、まったくの正常人なのである。
自分が正常であるとしか考えていない人々でも、自分が赤と感じている色は、「ひとりぼっちの赤」であって、他人が感じている赤とはまったく違う感覚なのかもしれない。そして、確かめようもないのである。他人に、「この色、何色に見える?」と聞いても、自分が赤と言うように、その人も赤と答えるからである。ただ、赤をみんなで赤いと呼んでいれば、各人各様どのように感じていようとも、なんの不便も不都合もない。問題のような人物が、他人に干渉しなければ、他人がこれに困ることはない。
これは確かめようがない。が答えのようだ。
Linda Wollman (土曜日, 04 2月 2017 00:20)
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